カテゴリー「家族」の105件の記事

2018年1月19日 (金)

春は名のみの~♪

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さる1月11日、100歳の伯母が生涯を閉じました。
24日に救急搬送されてから19日間、私達にはたっぷりの時間がありました。数日後に昏睡状態に入ってからも、枕元で昔話をしたり、甥姪総出で見守りをしたり、そうできたのは、毎日が危篤状態で、病院のほうでも面会時間に関係なく付き添いを許可してくれたからでした。
とにかく生命力が強い人でした。いよいよ駄目と一同が集まると、バイタルが安定してしまい、一旦解散。それを何度も繰り返しました。賑やかなのが大好きな伯母でしたので、皆が集まると元気が出てしまうようでした。特に私の母(伯母にとっては妹)がいると幸せそうにスヤスヤ眠っていて、母には伯母が危篤というのが最後まで信じられなかったようです。
最後の数日は、私達夫婦、兄夫婦が病室に泊まりました。脈が早くなり、頻脈が止まらなくなるたびに、Mくんが枕元で歌を歌ってくれました。「春は名のみの~」「みかんの花が~」「あしたはまべで~」…その歌声が心に沁みました。
伯母は1917年生まれ、ロシア革命の時代です。戦前は職業婦人として丸の内に勤め、私が子供の頃は我が家に同居して第二のお母さんをしてくれていましたが、50歳の時に一念発起、鍼灸の学校に4年間通い、鍼灸師として独立しました。この頃の生き生きとした様子も記憶しています。晩年は母と一緒に我が家の近くに住み、野菜や花を育て、のんびり気ままに過ごしました。
終生変わらず天真爛漫で、あまのじゃくで頑固で、そこもかわいらしく、独立心が強く、ほがらかで快活で、聡明でセンスがよく、人に尽くす人でした。こんなに生命力が強いのに、肺炎の治療のため1週間以上絶食して、その間に衰弱してしまったのが唯一の心残りです。食べながら治すという時代になってほしいです。
皆さまには励ましのメッセージをたくさん頂いて、本当にありがとうございました。

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2017年1月25日 (水)

義母のこと

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浜松の義母(88才)が1月20日に急逝しまして、通夜・葬儀としばらく浜松に滞在していました。昨年末の餅つき大会に参加して、元気な義母と搗きたてのお餅を食べてから3週間、その後椅子に座りそこなって腰を骨折したとは聞いていたのですが、15日までは普通に暮らしていて、16日辺りからだんだん具合が悪くなったとのこと、敗血性ショックという診断でした。
豪快な楽しいお母さんで、明るく社交的、プレゼントをするとニコニコと大喜びで受け取ってくれるので、次は何を持って行こうかと考えるのが楽しみでした。ここ数年は月ごとに会いに行って、旅館に行ったりお花見をしたり食事をしたり、糖尿病なのでメニューには気を遣いましたが(私達が行くと血糖値が上がると医者に叱られた)、次回は何を食べようかと、それを考えるのも楽しみでした。葬儀の帰りにロードサイドにいい感じのお店を見つけ、「次回はあそこどうかな」と一瞬思い、その必要がなくなってしまったのだと寂しくなりました。
いっぱいの花に囲まれての、にぎやかな葬儀でした。「こんなきれいな嫁さんもらっていいのかな」と結婚する前の義父が言ったという、義母の従兄弟の弔辞が素敵でした。なんだかんだと憎まれ口を叩きながらも、微笑ましい義母とMくんとのツーショットがもう見られないのだと思うと、ほんとうに残念です。

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2015年8月27日 (木)

母の冒険

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午前中、掛かりつけの内科医の所へ私と一緒に行き、血圧の薬を貰ってから、その足で鎌倉の姉(伯母)の所へお見舞いに行き、息子(兄)と待ち合わせてイタリアンのランチを食べ、それから近所の美容院へ髪をカットしに行った母。元気だなあと思っていたら、今度は電車に乗って藤沢まで買い物に行きたいと言う。大丈夫なんだろうか。
車で鵠沼海岸の仕事場まで行き、そこから徒歩3分の鵠沼海岸駅まで歩き、小田急線に乗って藤沢駅まで。エレベーターで2階に上がり、駅のコンコースを駅ビルまで歩いて、1階に下りて靴屋に行く。そこで歩きやすい靴を見つけ、ご機嫌の母をパチリと撮ったのが上↑の写真。それから、同じ駅ビルの中の本屋に行って、好みのボールペンを選び、さらに隣の手芸店に入り、エプロンを自分用に、毛糸と編み針を伯母用に買う。あ、私もペンケースを買ってもらいました。
それから逆のコースをたどって、鵠沼海岸の仕事場に無事帰還した。合計3時間の大冒険。電車に乗ったのも2年ぶりぐらいじゃないだろうか。付き添う私はヒヤヒヤしたけれど、本人は達成感に包まれて、誇らしく高揚した様子。私も久しぶりに元気いっぱいの母を見られて幸せでした。

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2015年7月18日 (土)

おばちゃん、どうかな?

鎌倉の病院に入院中の伯母をMくんと見舞った。誤嚥性肺炎で熱があったのだけれど、咳も止まり、点滴も終わり、食事もちゃんと摂れている様子(ミキサー食だけれど)。担当医に面談を申し込んだら、来週の木曜になるとのこと。その後すぐ退院できるといいね。

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2015年7月 8日 (水)

伯母が入院しました

数日前から風邪を引いたらしく、声がガラガラして咳があり、熱もなかなか下がらない。さすがのおばちゃんの免疫力も風邪菌に負けるようになったのか、と思いつつ、心配なのでやはり医者に診てもらうことにした。
兄夫婦が、前回誤嚥性肺炎で入院した病院に連れて行くと、顔を見た途端に「肺炎です」と言われたらしい。レントゲンやCTを取り、説明を受けて、さっそく入院となった。今回は早めの入院なので、前回よりすこし軽そう。それでも心配です。
ところが、伯母の様子を見に病室に行ったら、「もう病院にいるんだから心配することないわよ」と、逆に励まされてしまいました。楽天的な性格で助かります。

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2015年7月 6日 (月)

ネガティブ・ポジティブ

ご挨拶代わりに「具合どう?」と訊くと、
母は「あそこが、ここが…」と具合の悪い所を探し、
伯母は「大丈夫よ」と言う。
この大丈夫が結構クセモノで、大丈夫と言うのに肺炎だったり、ものが飲み込めなかったり、熱が出たり血圧が高かったりする。救急車を呼ぶような状況の時でも、「希望は持たなくちゃね」と言っていた伯母の言葉が印象的で、これが長生きの秘訣かしらとも思う。
翻って母のほうは健康オタクで、添加物や農薬に気をつけ、自分の体調に気をつけ、ちょっとでも具合が良くないと、何が原因かと気に病む。私も母に似ているので、母が具合が悪いと聞くと自分も同じような症状になってしまう。とはいえ母も長生きなので、基本的には丈夫なんだろうと思う。
ポジティブな姉とネガティブな妹。客観的に判断できる目がほしいです。

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2015年7月 4日 (土)

おばちゃん、大丈夫?

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友人の家に行く途中で鎌倉の伯母の所に行ったら、微熱があるとスタッフの人が言う。2,3日前から7度8分前後の熱があり、血圧も高いそうだ。食堂に様子を見に行くと、声がガラガラになり、おでこが熱い。でもご飯はちゃんと食べて食欲はある様子。大丈夫かな。年が年だけに心配です。

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2015年6月22日 (月)

歯医者さんの前で

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母を歯医者に送っていった。北欧風の建物がかわいい歯医者さん。
ちょっといい表情に撮れたのでお披露目します。
母はレンズを向けるとすぐ構えてしまって、なかなか笑顔が撮れません。
構える前に撮ってしまうのがコツのようです。

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2015年6月 3日 (水)

父の命日

今日は父親の45回目の命日。55才までの父しか知らない。母は47才の時から未亡人で、大学と高校に入ったばかりの子供を抱えて大変だったろうなあ…と思うのだけど、なんだか度胸が据わっていて、あの頃の母は頼もしかった。
母は海軍省に勤めていて、そこで父に見初められたらしい。
「毒ガスを作っている匂いが漏れてきたのよ」
「機銃掃射で狙われて怖かったのよ」
と話してくれるのだけれど、あの怖がりの母がそんな所に毎日通勤していたのだから、いざとなると度胸が据わるのか、そんな時代だったのか。
父は船会社のパーサー(事務長)をしていて、憲章の付いた制服で帰ってくると急にステテコおじさんになり、釣りに麻雀に野球観戦にと遊びまわり、家族のために料理や大工をしてくれたりした。子供の私は遊んでいる父親ばかり見ていたけれど、船の上で仕事をして、年に数回家には休暇で帰ってくるのだから、遊び人と思ってはいけないと大人になってから気が付いた。その父が連れてくるオウムやインコ、カニクイザルなどを我が家では飼っていて、ちょっと不思議な家庭環境だった。
おとうさん、子供達はあの頃のおとうさんの年令を越えてしまいましたよ。

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2015年6月 1日 (月)

母の介護認定

母の介護認定が「要支援1」から「要介護1」になった。前回は「要支援2」から「要支援1」に落とされ、その時は喜んでいたのだけれど、”要支援”のサービスがどんどん圧迫され、今後さらにサービスがなくなったり値上げされたりすると聞いていたので、「要介護」扱いになったのはラッキーと思ったのだけれど、本人にとっては「なんだかガッカリ」というものらしい。
”支援”と”介護”では役所の扱いが違うらしく、今までの所では介護のサービスには手が廻らないというので、自分で他の所を探したら、これが予想外に面倒で驚いている。これからお願いする事業所に電話したら、「以前のケアマネに話を通してくれ」と言われ、以前の事業所に電話をしてみたら、「いちいち断らなくてもお好きに契約してください」とのこと。なんじゃそりゃ!
結局ケアマネ同士で引継ぎをすることになり、間に母が入って日にちの打ち合わせをするので、あれやこれやが二転三転。お役所仕事極まれりという感じです。
夕食後に母の様子を見に行ったら、疲れて寝入っている。”要支援”と”要介護”の狭間で置き去りにされ、ヘルパーさんも来ない。母は大丈夫と言うけれど、しばらくは私がヘルプをすることになりそうです。

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