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2018年12月

2018年12月11日 (火)

この頃のこと

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昨年末に「アンの部屋」をセミリタイアしました。「私の部屋」として鎌倉に開店したのが1974年でしたから、44年間走り続けていたことになります。二十歳だった私が今ではシニアの仲間入りをするようになりました。せめて70歳まで、できればいつまでも走り続けていたいと思っていたのですが、自分の体力や母親の介護のことなどもあり、スタッフにバトンを渡すことにしました。2017年の冬物まで私が企画し、年末に大好きな福袋作りをして、走り続けることをやめました。今年からは月曜日と金曜日に出勤して、写真を撮ったり、TOPベージをMくんと一緒に更新したりして、ゆっくり歩いています。

私がものづくりを始めたのは、1978年頃のことです。1970年代の前半には、雑貨屋さんなどという概念は一般的ではありませんでしたが、団塊の世代の人達を中心に、今までにないものを自分達の手で作り、自分達で販売しようという熱気が世の中にあふれていました。中でも吉祥寺や鎌倉などは「手作りのものを売るお店」のメッカとなり、魅力的な小さな店が、路地のあちこちにありました。高校性の私にとっては、原宿表参道や横浜元町は外国のような憧れの地でしたが、鎌倉は、兄姉世代の人達が個性的な店を開き、品のいい素敵な人達の住む、”すぐそこにある”憧れの街でした。
高校を出て、音大受験のため浪人していた私は、その頃お気に入りだった雑誌「私の部屋」の中にフランチャイズ店募集の一文を見つけ、こんなお店だったらやってみたいと思い、母を焚きつけ、鎌倉に「私の部屋」のフランチャイズ店をオープンしました。1974年3月21日のことでした。「私の部屋」は独自のポリシーを持ったお店で、そこで多くのことを学びましたが、店に入ってきてくれた人が笑顔になって出て行ってくれること、商品を売るのではなくライフスタイルを売ることなど、今のアンの部屋にも受け継がれていることがたくさんあります。私は、自分がいいと思ったものに共感してくださる方が沢山いることに驚き、それが大きな喜びにもなりました。
「私の部屋」は雑誌社の経営で、知的な側面があり、初代社長は仏文学者でした。お店の中には北欧IKEAの家具(その頃は直輸入でした)やスウェーデンハウス、風見鶏や燻製鍋、ほうろうの水切りや小樽の吹きガラス、ポットカバーやランチョンマットなど、70年代に暮らす普通の人は見たこともないようなハイカラなものがあふれ、「ここは何屋さんですか?」と毎日のように聞かれました。"雑貨屋さん"という概念がない時代です。
そんな雑貨屋さんを何年間か続けていくうちに、私は「何か作りたい」「布のものがほしい」と思うようになりました。手染め木綿の普段着、お出かけ用のアウターではない暮らしの中で着る服、フリーサイズでフリーエイジで、ざぶざぶ洗えて毎日着られる服。手頃な価格なのにカッコいい、そういう生活着を作りたい。それは、その頃出会ったMくんの影響でもあります。

あ、なんだか語りたくなってしまったぞ。また続きを書きます。

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